愛用ギターのGibson Les Paul Custom
ギブソンのレスポールカスタムは自分がずっと追い求めていたギターだからこそ思い入れがすごく最近のレスポールカスタムの現状について書いていこうと思います。
現在のギブソンのレスポールカスタムは材の枯渇からエボニー指板ではなくリッチライトという人工指板材に変更されていて、パルプ繊維を圧縮したものにフェノール樹脂を混ぜカーボンで着色した人工樹脂ということで現在はエボニーの代替材として使われています。
説明によると2012年ごろからレスポールカスタム等の一部のモデルに採用されています。
見た目でもサウンド面でもエボニーと大差ないとのことで採用されています。
そして人工指板材なので乾燥などの環境変化に強くメンテナンスなどもエボニーより楽とのことです。その点エボニー指板では指板割れ等から守るためにオイル等の管理がリッチライトよりも必要になってくるとのことです。人工素材のため天然素材より個体差がないことも利点として挙げられています。
このような背景があっての人工指板材への移行は止むを得ないことだとは思いますが
エボニー指板のレスポールカスタムを使用してなおかつ思い入れがすごいレスポールカスタムのこの仕様の変更は少し悲しく思うところもあります。
プレイヤーとしてカスタムを使用しているわけですが花形のギターであるカスタムのこの仕様は果たしてヴィンテージの価値は出るのか、それと変化していくことに順応していかなければとは思うのですが個人的に本物感が失われてしまう気がしてしまうんです。
ギブソンへの思い入れがすごいからなのかもしれませんが、その事を悪く言う気などなく少し感じたことを書いてみたんですがその変更が主流になっていけば自分の考え方も変わっていくと思いますし、それと同時に現在所有しているカスタムへの感謝と今後リッチライト指板のカスタムを所有した時にこのようなことを思っていたことが野暮だったと思うかもしれないので
何でもかんでも変化していくことに否定的にはなりたくないと思うのです。
所有しているカスタムの使用にも拘っていたからこそのこの気持ちだと思うのでそれを思うことがダメなことだとは思いませんがギターヒーローに憧れて手にしたレスポールの今後をみていきたいと思います。
答えのないもの、
考えても考えても答えは出てこないし、分からないことなのにその事について考え続け、頭の中で消えることなく悩み苦しみ続けなければいけない。本当に考えてる今と、この先に何があるんだろ、考える事は好きだしその事について囚われてるのは全然いい気分じゃないけど、ある意味囚われたり、気分が悪くなるのって死ぬまで無くならない気がしてならない、
もっと心が不安定で、起こる出来事や、不安に駆られた時の頭に取り憑いてくる嫌な感じも感性があるから感じたのかな、凄まじいものとかじゃなくてね、何となく感じたことでも、生きているからこそか、
場面場面で気持ち悪く感じることや、どうしようって思うことが多すぎてその瞬間を楽しめなかったり、逆に気分や状態がいい時はその瞬間が身体の一部みたいな感覚で心の底から最高な気分で過ごせたり、些細なことが楽しめたり、影響がダイレクトに身体に入ってきたりする。
でも、それってすごい不安定で、辛い、普通の生活をするなら良くないことの方が多すぎて、最悪な目に遭うことしかない。
感性が鈍くなれば感じられるものも少なくなるけど余計な苦痛が減るのかもしれない。
それが普通なのか普通ってなんなんだろ。
人それぞれの感性で物事を受け取ってみたい、
凌雅
部屋の隅で膝を抱えてた。
何か感じた時にあまりに途方も無さすぎて無気力なのか受け身なのか純粋な気持ちで影響を受けて物事にのめり込める感覚ってこの先何十年、そこまで行かなくても何年間のサイクルでまた取り戻せることなのかな。この先も物の見方とか考え方は変わっていくと思うし、今こうして思ってることとかやってる事とかどんどん忘れていってしまって、今とは違う、そこに辿り着くまで解ることができない感情や景色を見ていると思うし、今、過去に感じてる事こそ途方も無い、遥かむかしの出来事、それか昨日のように感じられる感覚になってるのかな。
逆に戻りたいと思ってる時に行けても頭の中で想像してる世界と現実に起こった過去って全然違う気がしてならないんだよね。言葉では表せないその瞬間瞬間の空気感ってずっと感じられてて、匂いとか音とか話してる音とかそれが心地良い懐かしさの瞬間事に切り取られた思い出であってまたその時に戻れてもその瞬間瞬間の空気感を感じられる感性が今の自分にはなくなってしまっていると思うし、実際にその場に行って戻りたいと思っていたことさえ感じられなくなっていくなんていやだしね。
実際はもっと単純であってその瞬間瞬間の積み重ねだけなのかもしれないね。写真みたいに、
頼んでもいないのに進んでいくことしかない時間だから、この時も何をしていても死に向かっていることに変わりはないんだよね。それがいい事とか悪いことじゃなくてもっと客観的に見てみるとね。
凌雅
歌詞、メロディ
2ヶ月前から書いていた曲と詩が今日ようやくできのさ。とても気に入ってる曲だし世の中の誰かに届いて欲しいなぁ。
英語ができないから範囲が限定されてしまうけれども😱 英語できるって超クールよね。
自分が感じた、思い描いた感情とか風景を音楽にできることにいつも感謝しているしそれしか俺にはできることがないからいつも何かを感じていたいしね👨🍳
歌詞とメロディが良い曲が昔から潜在的に好きで心揺さぶられるよね。好きなミュージシャンのLIVEとかプロアマチュア関係なく音楽から人柄や、バックボーンが感じられて鳥肌が立つあの感覚が大好きだし。音楽のジャンル関係なく音楽、詩を愛しているよ。大好きなんだ。
こんな素敵なコトってないよね!
凌雅
特に意味は、
何かを伝える時にもっとシンプルに要点を伝えられるようになるべきなのかな。この感じとかあの雰囲気とか自分が感じる違和感、この感覚って自分だけなのかなって事が人と分かり合えた時に嬉しい気持ちと同時に感性が近いことでまた何か生まれそうな気がする。それってきっとお互い生まれた所も生活スタイルも違うけれど見た事や聞いた事、感じたことに似たような違和感と記憶してきた思い出があるんだよね。だからそれが分かり合えた時、通じ会えた時っていつもものすごい感動と出会うべくして出会った事なんだって、思うよ。出会うまでに数年空いた時間があってもその間互いになにか近しいものを感じられていたってすごい素敵なことだって思うしね。
そういうことが積み重なって反対に全く感性が合わない中にいるとものすごい疎外感とほんとに同じ人間なのか、全然この感覚が分からない、そこにいることが苦痛にしか感じられないことが多くなるのさ。でもその疎外感が過去を振り返った時に強烈な違和感として記憶に残っているのよね。完全にいい記憶だったとは言えないけどその体験がないとまた新しいなにかに出会えない気がしてならないからさ。自分と合う感性の人とだけいても都合のいい物の捉え方、受け取り方しかできないって思うのさ。
別にそんなの必要のない事って言われたらそうなのかもしれないけど人との出会いがあった時によくこの気持ちになるんだよね。
心とか思ってることって相手に思いやりの気持ちを持って理解しようと歩み寄ることは出来るけどほんとの気持ちまでは分かってあげることができないからさ、ほんとの奥底、その人の視線になれたらなぁ、もっと理解したいよって思うんだ。
凌雅